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講演:人が幸せになれるまちづくり
講師 株式会社フジタリサーチ 川村 健一
平成13年4月28日 佐久セントラルホテルにて
★講師紹介★
本来,コンピュータ,マルチメディア,ロボット,環境技術等の研究者だが,ある時,技術開発だけでよいのか,技術はいったい何のために使うことが大事なのか,技術開発だけしてれば良いのかと疑問をもった。技術は人が幸せになるために使われなければならない。そしてコミュニティのことを考えるようになり,人と人がどのように接したらよいのか,どのように過ごしたらよいのか,サステイナブル・コミュニティに興味を持つようになり,サステイナブル・コミュニティを研究し,小門裕幸氏との共著「サステイナブル・コミュニティ」(学芸出版社)を出版。
★講演要旨★
1.
サステイナブル・コミュニティの考えの必要性
- 人々の望む幸せの物差しが変わっている(木村正三郎)。物質文明からクオリティオブライフに。人々が,望んでいたのは,"早い,便利"という時間的なサービスから"ゆっくり,のんびり"という出会いの語らいのある場ではないだろうか。
- 環境心理学的にも,世界中画一的で,巨大なまちが出現してくる中で自己のスケール観を失い,人とのつながりが希薄になりがちな車中心のまちづくりに向かった工業化,大量消費の時代を過ぎて,自分が生活をこれからも送ってゆく環境である"まち"を,どのようなまちにしてゆくかとの関心が高ま
ってきている。
- 今日本は女時(めどき。反対は男時;風姿花伝/世阿弥著)にある。何をやってもうまく行かない時期。しかし歴史は,世界で人気を高めている地域は,このような時期にコミュニティ改革に着手していることを教えている。今こそ行動に移る時。
- 自己のスケールの中で,自分のアイデンティティを求める。"まちは人を写し,人はまちの中に自己を見る。"
- 心の考古学(望月先生);環境に順応するプロセスが遺伝子に書き込まれていく。まちをつくることも人々に歴史性・文化性を刻み込んでいく。
- まちはその地域の民族性・歴史性・文化性等を持ったその地域の人々が自分で創り上げていくもの。
a)アラビア砂漠で,遊牧民を定住させようとして大規模な緑化実験をやったが失敗。その民族の個性と意思を無視してやってもだめということ。
b)アリゾナの砂漠で,「バイオスフィア2」という全てを完全循環させる閉鎖空間実験を行った。「バイオスフィア1」は地球のこと。「2」は第2の地球を意味する。目的は2年かかる化成への旅に使う宇宙船のシステム開発。8人が2年間「バイオスフィア2」に閉じこもり,太陽の光だけを受けて生活したが,結果的には失敗した。
- コミュニティとは,人々の集まり,人と人,人と文化,人と歴史が一体となるオープンスペース。
2.どこからサステイナブルなまちづくりは,始めるのか?
- 社会には,官(public),民(private),のほかに市民(civil)としての立場がある。
- まちづくりには,官と市民の要求,期待をつなぐCITY
PLANNERという役目がある。
- 人と人が出会い,語らい,子供が育ってゆく思い出を持つ"場"としてのまちは,どうあるべきなのか。
- それぞれ異なる特長を持つ町に,異なる気風があるように自分もそして子供達も育つまちをどのようにして創っていったらいいのだろうか。
- いろいろな年齢の人々,多様な社会の人々が,いつもあふれる"まちづくり"は,どのようにしてできるのか? アメリカの幾つかの事例。
a) コロラド州デンバー16番街:
アメリカでは,モータリゼーションの初期に,自動車メーカーは意識的に公共交通を排除し車社会を推進した。1920年代,デンバー16番街も車が通過するだけの無味乾燥なまちになってしまった。NPOをつくり,Walkable
& Reconnect
をコンセプトに,車道から車を排除し,トランジットモールをつくった。5年かかったが,人々がまちに戻り小売店が戻り,コミュニティが復活。
b) テキサス州オースチン市:
寂れたまちを復興しようと,都市プランナーを集め,3年かけて幾つかプランをつくり市民に問いかけたがいずれも失敗。その後,ピーター・カルソープが指導。彼は,「まちをデザインするのはそこに住んでいる人々だ」と言い,ワークショップを始めた。住民全員を集め,「どんなまちにしたいか言って下さい。わたし共が皆さんの手となり足となり,それを絵にします」と言って始めた。
10人を1単位とし,25グループに分け,6ヶ月かけてまとめた。25の案を住民自身が説明,それを検討に検討を重ね,最終案をつくった。プロムナード型のまち,スーパーはいらない,全て専門小売店。市民の自主的参加が市民の愛着を生む。
c) オレゴン州ポートランド市:
1980年代女時の時,NPOオレゴン1000人の会がまちづくりを開始。景気後退時,市内に高速道を更に広げようとしたが,1000人の会はそれに反対し,人と人が触れ合うまちをつくろうと3年間ディスカッション。その提案をゴールドシュミット州知事が採択を決断。
1000人の会が2040年までのポートランド成長市基本計画をつくった。基本の考えは,Urban
Growth Boundary(都市成長限界線)をつくり,公共交通(ライトレール)を導入し,都心居住を促進し,全てを内に向かって開発し郊外の緑を守ること。
川沿いの高速道路を造らず,リバーサイドパークを造り,車の流入を減らし,人と人のコミュニケーションの場をつくった。市民がひとつ一つの煉瓦を持ち寄り,大きなパーキングを市民広場に造り変えた。
結果として,まち中に人々が集まり,小売りが復活し,全米で経済成長が2位になった。シアトル(ワシントン州)は33%の人口を増やすのに87%の新たな土地を潰したが,ポートランド市は77%人口を増やしたが6%しか新たな土地を潰さなかった。それだけ環境破壊が防げたことになる。
更に,周辺都市との広域連携体メトロをつくり,広域交通,ゴミの処理等広域でやった方が良いことはメトロ議会で決める。徴税権もある。全米で成功しているメトロはこのメトロただひとつ。
d) ロスアンゼルス州サンタモニカ市サードストリート:
まちづくりのバイブル「City
Comfort--How to build an urban village」(Written by Vavid Sucher)(「幸せの都市―アーバンヴィレッジを如何に造るか」)に基づいて造られたまち。この本には,大事なことは,人と人の集まる場所"アーバンヴィレッジ"を造ることとある。アーバンヴィレッジとは,ふっとした時心に浮かぶ"心に残る心象風景"(世界共通で里山)。
5つの基本原則がある。1.まち中にベンチを置く。2.まち中に音楽が流れている。3.まち中で何かパフォーマンスが行われている。4.いろんな食べ物の店が随所にある。5.植物を置こう。6.テラスをつけよう。
e) テネシー州チャタヌガ市(テネシー川添い):
'70年代の不況で工場が倒産。結核の発症率平均の5〜6倍。全米一住み難いまちだった。それが,1996年,国連まちのコンテストで世界一になった。
この町にきたストラット・ワトソン教授が「これではダメ」と,200人の住民を集めた。毎週火曜日夕方6:30から市議会(議員はみんな働いているので)。議会は市民も自由に傍聴でき,発言も許される。テレビで生放送されている。市民も参加できる直接民主主義の手本とされる。議会でまちづくりの視察が決定。
市民と企業が参加したインディアナポリスの視察から帰ってからまちづくりの組織が生まれた。6ヶ月間話し合い,まちづくりの意志決定には多くの市民の参加が必要と決まる。
'85年,"チャタヌガベンチャー"誕生。電話帳から無作為に1万人をチョイスし,市民からアイデアをアンケートで募集。1700人が参加し,2500のアイデアが出た。性別,年齢,人種,職業に関係なく,様々な人々が参加。アイデアが40に絞られ,2000年までに実行すべき目標が"ビジョン2000"となった。その一つである住宅問題に関するアイデアが全米から注目されている。
この運動に大きな役割を果たした一人の役人がいた。彼は個人的に参加したが,事務処理に精通しているため許認可に大きな貢献をした。
3.日本の実例
- 一方私どもは,日本の文化と生活習慣に根ざした"まちづくり"のパラダイムを創ってゆくことが肝要である。具体的に,人々の参加で。日本の実例。
a)青森県大畑町:
'98年,市民の側から政策を提言しようというNPO「SCR」をつくった。コンクリートを使った大畑川の河川改修で定置網漁に影響が出ていた。近自然工法を知ったメンバーは勉強会を重ね,建設省に自然石を使ったその工法を提言した。近自然工法は採択され,今は県土木事務所も積極的に受け入れている。
官と民の間に線を引くのは大きな役割をもたない。
4.まとめ
- 良いまちは,住んでいる人たちがまちを維持し,コミュニティを強くしている。専門家がトップダウンでやるものではない。
- 住んでいる人達の心象風景が里山であり,アイデンティティのあるまち。
- 男時の特徴である大量生産,標準化,専門化,大量消費から,女時の特徴であるヒューマンスケール,アイデンティティ,統合化(integration)情報化に変わりつつある。
つまり,コンクリートの水路に象徴される無機質なメンテナンスフリーから,メンテナンスに手がかかるが,人々が参加し,維持し,そこに愛着をもって住み着く近自然工法のようなものに変わってゆく。事例として,住民の意思で整備sれたマリブ市(ロスアンゼルスの北にある町)の美しい水路。手はかかるが,愛着とコミュニケーションが育つ。
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